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「ご、ごめんなさい!!」
かけられた声に顔を上げると、そこには赤い仮面を着けた顔があって、今度は彼が驚く番だった。赤い仮面は、十四人委員会に所属する者の証だ。しかし、ここエルピスでは規則により、外部からの訪問者は身分を問わず、仮面を外すことになっている。
それを言おうとした矢先に、相手の背後から声がかかる。
「アゼム、ここでは仮面を外さなくちゃ駄目だと言ったじゃないか」
「あ、そっか」
ぶつかってきた相手……アゼムは、その言葉で思い出したように仮面を外し、改めてこちらを見た。その顔を見た彼は、心臓が一際強く打ち始めるのを感じて、何故か息苦しくなった。
まぶしい……
理由は分からないが、アゼムの顔を見た彼は、そう感じた。
「ああ、来てくれていたんだね。アゼム、紹介するよ。彼がエリクトニオス、パンデモニウムの獄卒だ」
「わっ、あなたが……初めまして、私はアゼム。今日はよろしくお願いします」
「……よ、よろしく」
腰を折って、深々と礼をするアゼムに、彼……エリクトニオスははっと我へ返り、相手に倣って頭を下げる。そんな二人を、テミスが微笑ましそうに眺めていた。
- - - ここからAI - - -
パンデモニウム。それは、かつて世界が創造された時に生まれたとされる塔で、神や星々の力をもってしても傷ひとつ付けることのできない、不可侵の存在だという。その獄卒であるエリクトニオスも、当然のことながら普通ではない存在であり、彼は自らの魂を自由に分離させることができるのだ。
「じゃあ、早速だけど始めようか。まずは、君達の方の準備をして貰おうかな」
「準備?」
首を傾げるアゼムに対し、テミスは懐から取り出した小さな箱のような物を差し出す。
「これを、この機械に差し込んでくれるかい?それから、そこにある椅子に座ってくれれば良い」
言われるままにアゼムがそれを受け取り、テミスの隣に置かれた大きな椅子に座ると、エリクトニオスは無言のまま彼の前へと進み出た。そして、差し出された小さな箱のようなものを受け取ると、手早く装置に接続する。
すると、小さな箱から発せられた光が彼を包み込み、やがて全身がその光と同化して見えなくなった。
エリクトニオスが、装置の中に自分の精神を移したことを確認したアゼムは、テミスの方を振り向く。
テミスはそれに答えるように小さくうなずくと、部屋の中央に立ち、両手を大きく広げた。同時に、どこからともなく荘厳な音楽が流れ出し、室内を満たしていく。
まるで魔法のように現れた巨大な水晶玉を見つめる二人の目の前で、映像が映し出され始めた。それは、アゼムの記憶の中から抽出された、エリクトニオスに関する記録の映像であった。
「これは……」
「君の生前の記録だよ。もっとも、魂が分離された後のことは分からないけどね」
「そうなんですか」
「ああ、そうだとも」
そこで一旦言葉を切ると、テミスは再び口を開く。
「さて、今から君には、エリクトニオスについて知ってもらいたいことを話していこうと思う。これから話すことの中には、おそらく君にとってショックなことも含まれるだろう。だから、覚悟を決めて聞いて欲しい」
「はい」
アゼムの返事を聞いたテミスは、真剣な表情を浮かべたまま、再び口を開いた。
「では……まずは、エリクトニオスという男が何者なのかを説明しよう」
エリクトニオスは、エルピスの民の中でも特別な存在だった。十四人委員会の一員にして、最も優秀な獄卒でもあった彼は、その実力を買われて、ある任務を与えられた。それが、パンデモニウムの封印を解くことだったのだ。
だが、その結果として起こったのは、想像を絶する惨劇だった。
パンデモニウムを封じていた扉が開いた瞬間に溢れ出したのは、世界を破滅に導くほどの力を持った災厄だった。それは、その場にいた全ての生命を瞬時に消滅させてしまうほど強大なものだったらしい。
しかし、エリクトニオスは生き残った。何故なら、彼もまた他の者達と同じように、エメトセルクによって命を与えられており、しかもその時すでに不死となっていたからだ。
だが、それだけではなかった。
彼が生き残ったのは、偶然でもなければ奇跡でもない。エリクトニオスは、自らが生み出した新たな肉体に乗り移ることで、災厄から逃れたのである。
つまり、エリクトニオスは、自分自身の精神を分離した状態で生き続けることができたのである。ただし、それは彼が死ぬということと同義であり、彼自身もその事実を知っていたようだ。
その後、エリクトニオスは長い年月をかけて様々な実験を行い、遂に一つの成果を得ることになる。
それは、自らの精神を分離させたままの状態で、他者の身体に宿ることができるようになるというものだった。
しかし、そんなことが本当に可能なのか、また仮にできたとしても、その人物がエリクトニオスと同等の能力を有することができるのかどうかなど、多くの疑問があった。
そのため、エリクトニオスは自らの力を試すために、一人の人間を選び出してその体内に潜むことにしたのだ。そう、アゼム……お前自身だ。
エリクトニオスは、アゼムの中で時を過ごしながら、彼が成長する過程を観察していた。
「ちょっ……ちょっと待ってください!!」
突然のことに、アゼムは慌てて制止の声をかける。
「どうかしたかい?」
不思議そうに問いかけてくるテミスに対し、アゼムは少しだけ息を整えると、ゆっくりと言葉を発した。
「その、私の中にいるっていう人は、もしかして、エリクトニオスさんなんですか?」
「ああ、そうだよ」
あっさりと肯定されてしまい、アゼムは困惑する。
「そ、それじゃあ、私が今まで見てきたエリクトニオスさんの人格とか記憶は、全部私の中にいた人のものだって言うんですか!?」
「その通りだ」
「そんな……」
あまりにも衝撃的な事実を告げられ、アゼムは混乱していた。自分がエリクトニオスと全く同じ存在であり、しかも彼は自分の中でずっと生きていて、そしてこれからも生き続けていく。それは一体どういう意味なのだろうか。
自分はもう既に死んでいる。だから生きているわけがない。なのに、エリクトニオスは今もこうして自分の中にいるのだと言うのだ。……何なんだ、この矛盾だらけの状況は。
アゼムは頭を抱えたくなったが、ふと、ある疑問が浮かんできて顔を上げた。
「あの、一つ質問があるんですけど」
「何かな?」
「エリクトニオスさんはどうして、私の中に入ったりなんてしようと思ったんでしょうか?それに、そもそもどうやって入り込んだりしたのかもよく分からないし……。その辺りのことを教えてくれませんか?」
アゼムの言葉に、テミスは小さくうなずく。
「分かった。エリクトニオスの行動について説明しておこう。エリクトニオスという男は、最初から自分の目的のために行動しているわけじゃなかった。彼は、ただひたすらに、自分の中の衝動に従って生きていた。そして、彼の中で芽生えた欲望が形を成した結果が、君の中へと潜り込むことだったんだ」
「それって……」
「そうだとも。君がエリクトニオスと初めて出会った時に感じた違和感の正体こそが、君の中にあるエリクトニオスの魂の存在だったんだよ」
「……」